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広島高等裁判所 昭和39年(く)30号 決定

少年 S・F(昭二一・一一・三〇生)

主文

原決定を取り消す。

本件を広島家庭裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告の趣意は記録に編綴してある抗告申立書記載のとおりであつて、要するに少年には未だ非行の前歴がなく、本件非行の如きも、唯一人の保護者である実母が、不慮の事故により重傷を負い入院加療中に、悪友に誘われ累行するに至つたもので、適当な保護監督者の協力を得て、その環境を調整し補導に努めれば、少年院等の施設に収容するまでもなく、矯正改善の実を挙げ得るにかかわらず、本件非行により直ちに少年院送致の決定をした原決定の処分は著しく不当であるというのである。

そこで本件少年保護事件記録並びに調査記録によつてこれを検討するに、少年は幼少の頃父と生別し、実母と共に貧困な生活をしているうち、実母もまた病気のため長期入院するのやむなきに至り、昭和二七年六月一六日頃、妹と共に社会福祉法人広島修道院に引き取られ、右修道院より○○小学校や○○中学校に通学し、中学第二学年を修了すると同時に再び実母に引取られ、仲居あるいは失対人夫として貧困な生活を営んでいる実母の許で中学校の課程を終え、卒業と同時に○○工業株式会社に就職し、通勤の傍定時制の○○市立工業高等学校に入学して学業を続けるなど、不遇な境遇の中に生長しながらも、比較的真面目な道を歩んでいた者で、内向的でやや気分の安定を欠き、行動に表裏があつて教師その他から十分信頼を受け得る程ではなかつたものの、特に問題とせられるような不良な行状はなかつたのであるが、昭和三七年七月頃、実母が失対人夫の助監督と同棲するようになつた頃から、前記会社を退職すると共に高等学校も止め、爾来工員、中華料理店の店員等の職を経て昭和三八年八月頃京都市の某パチンコ店の店員となり同年一二月母の許に帰るまでの間に、朝鮮人朴○男と知合つてから、入墨をするなど不良化の傾向が見えるに至つた折柄、不幸にも昭和三九年三月二五日不慮の事故で実母が重傷を負い、三箇月の長きに亘り入院加療を受けるのやむなきに至り、ついに少年はその機会に原決定書記載のような罪を犯したものであることが認められるのである。

右のような少年の生立ちから本件非行に至るまでの経過、当裁判所の事実調の結果その他諸般の事情を参酌綜合するときは、少年には原決定書に記載しているような、性格的な欠陥がないわけではないが、その非行性の発現は比較的新らしく、かつさ程強いものとも認められず、その環境を調整し保護能力の点において欠陥のある実母の外に、適当な保護監督者の協力を得るならば、法定の施設に収容するまでもなく、矯正改善の効果を期待し得る余地なしとしないのである。しかして当審証人○木○郎の供述によれば、同人は現在高校教諭の職にあり、この際少年を引取つて保護しその矯正改善に努力し、さらに進んで職業の斡旋補導に尽力することを約し、既に少年の実母に対しても改善の措置を講じていることが認められることを考えると、少年に対しては今暫く保護処分の決定を見合わせ、少年法第二五条のいわゆる試験観察により、その推移を見極めるの要があるものと思料するのである。本件抗告は結局理由がある。

よつて少年法第三三条第二項、少年審判規則第五〇条に従い、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 河相格治 判事 幸田輝治 判事 高橋正男)

参考二

抗告理由

少年は私母として同居生活中は決して悪事を為すようなことを認めなかつたものであります。三月末に私が就業中負傷のため三ヵ月間入院加療中悪友に誘われて非行を為すにいたつたものであります。私が少年の保護監督の充分でなかつたことを深く反省しておりますが、今後私の足らないところを私の兄嫁の兄弟にあたる県下深安郡○○町○木○郎(○○高等学校教諭)が引取つて監督いたしたいと申出でておりますので、少年を幼少時から愛育保護してきた広島修道院長北村孝義院長の協力もあつて補導いたしたいのでこの抗告をいたします。

附記

少年は四、五月頃から失業し偶々此間不浪年長者朴なる不良朝鮮人にそそのかされ、不本意ながら四、五月頃から非行があつたもので今回が初犯のことでもあり、今後之が環境を代え保護者がしかと教護保導致せば必ず善良な社会人となる事と信ずるものであります。

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